プリキュアを卒業する日がやってきた

プリキュア

先週、ヒーリングっど♥プリキュア!が無事終了した。コロナ禍の影響で2カ月間の再放送になったりで、制作陣の方々は色々と大変だっただろうと思う。お疲れさまでした。丁度日本でコロナが騒がれだした頃に放送が始まり、主人公たちは地球を蝕む病原菌(ビョーゲンズ)と戦うというストーリーで、なんだか現実とリンクしているような錯覚になった。もしかしてこの作品が終わったらコロナも収束するのでは?という淡い期待を持っていたが、現実ではワクチン摂取が始まったタイミングで放送は終了した。

作品自体の感想としてはあまり印象に残らなかったというのが率直な感想だ。毎回メガビョーゲンが現れる度に(プリキュアが出動する度に)ラテの体調が悪化してからの戦闘開始、さらに物語中盤からは戦闘にも参加し、最終の必殺技”ファイナル!ヒーリングっど シャワー!”ではラテが号令を掛けないと発動できず、なんだかラテの負担があまりにも大きすぎるなぁと気の毒に思いながら見ていた。あとラテが喋れる設定なのか喋れない設定なのかが最終回までわからなかった。

2ヶ月間の再放送していた枠で本来はプリキュア4人の成長のターニングポイントが描かれるのが通例となっているが、その部分があまり掘り下げられなかったからか、キャラクターの魅力が今までのプリキュアと比べてやはり伝わりづらかったのは残念なところ。個人的にはひなた推しだったが、元気が取り柄以外はいらん事ばかりする奴と印象で終わってしまったのも残念だ。

そして新作のトロピカル~ジュ!プリキュアに関しては、視聴を見送ろうと思う。理由は大きく分けて3つある。

1つ目はプリキュアシリーズの構成が固定化していて飽きてしまったから。仲間が集まって各自の成長エピソードがあり、敵を倒したと思ったらラスボスにいきなり世界規模の侵略をされるけど諦めなかったら勝てた。というのがシリーズ通しての構成である(といってもアラモードからしか見てないのでその前は知らない)。キャラクターが違うだけで先が読めてしまうので、あまり楽しめなくなってしまった。もう少し戦闘に特化したり、フォーカスする部分を変えるなどシーズンによって変わると、大きなお友達はより一層楽しめそうではあるが、視聴層を考えると構成を固定化するのは仕方ないのかも。

2つ目はやや説教臭いから。プリキュアシリーズではプリキュアのセリフは子供の都合、敵のセリフは大人の都合だとネットで読んだことがあり、確かにメッセージ性はかなり強いなと毎回思う。これはプリキュアに限らず、最近の漫画アニメにも感じることだけど。

最近見始めたおジャ魔女どれみ(2000年~)では「主人公どれみ達と友達になりたいと思うような作品」というテーマで作ったとプロデューサーの関弘美さんのインタビュー記事で読んだ。確かにどれみは視聴層と同じ小学生の設定であり、そのクラスメイト一人一人のエピソードも丁寧に描かれている。

一方、プリキュアシリーズは主人公は中学生が多く、視聴層を考えると「こんな風になりたい」とお姉さんへの憧れの要素の方が強いように思うし、故にメッセージ性も強くなるのだろう。これらの違いが個人的にはどれみのコンセプトの方が合っていた。どれみに関しての感想は長くなりそうなので、またの機会に書く。

3つ目は時間がないということ。登山だなんだと言っていたらやりたいことが山盛りになっているのだ(登山だけに)。プリキュアは録画かTVerで見るのでCMは無しで本編のみで24分。おおよそ1つのシリーズで48話、24分*48話で1年間で19時間ほどになる。このたかだか週24分がやや負担になってきてしまったのだ。やらないといけないことを1つ減らすと、リソースが増えるので24分以上の時間が得られる。

ということで今シーズンはプリキュアは見ないと思う。果たしてプリキュアを見ない24分でなりたい自分になれるかどうか。

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